藤崎町は、青森県津軽平野のほぼ中央に位置し、東は青森市・黒石市、西は弘前市、北は板柳町、南は田舎館村に接しています。町中心部から県都青森市まで約25キロメートル、弘前市まで約9キロメートルの距離にあります。総面積は37.29平方キロメートルで、町域には山岳・原野がなく、地質は第4紀沖積層に属する、農業に適した肥沃な土壌に恵まれています。気候は、津軽平野の中では比較的温暖で、水と緑に囲まれた豊かな自然が四季折々に彩りを添えるなど、変化に富んでいます。
藤崎町は、旧藤崎町と旧常盤村が2005年(平成17年)3月28日に対等合併して、県内最小面積の「町」として誕生しました。新たな町では恵まれた立地条件を活かし、それぞれの町村が取り組んできたまちづくりの成果を引き継ぎ、今後さらに発展・飛躍するため、新しいまちづくりを推進しています。
地名の由来
「藤崎」という地名は、平安時代初めころの伝説が始まりではないかと言われています。
もともとは「沼洲村(ぬますむら)」と呼ばれており、早くから蝦夷などの先住民族が住み開拓されていました。所々に湖や沼があり、そのあたりは深い林で、魚や貝、水鳥が多く住み、西側を大きな川が流れて肥えた土地に恵まれていました。
桓武(かんむ)天皇時代の793年(延暦12年)、京都から坂上田村麻呂という武将が、貢物をしない蝦夷地の人たちを京都の中央政府に従わせようと、たくさんの軍勢を引き連れて遠征してきました。いわゆる「蝦夷討伐」です。
田村麻呂は蝦夷の頭領であった高丸を討ち取り、兵を率いて当時の沼洲村に着きました。雁泊(がんどまり)という所のほとりにくると、高丸の悪霊が水底に現れ、田村麻呂に復讐しようとしました。田村麻呂は剣をぬいて切り払い悪霊を退治し、このことを記念して神社を建てることにしました。そして、近くの深い林に分け入り、持っていた藤の鞭(むち)を地面に突き立て、その目印にしました。後に、その藤の鞭から根が出て、やがて見事な薄紫の花を咲かせるようになりました。そこには毎年美しい花が雲のように咲くため、付近を「藤の咲く里“藤咲村”」と呼ぶようになり、そして「咲」の字が後に「先」と変化し、やがて現在の「崎」の字が使われるようになり「藤崎」となったと言われています。
このようにして建てられた神社が現在の鹿嶋神社となっています。
町の花・木・鳥
2015年(平成27年)3月28日制定
町の花 藤
町の木 りんご「ふじ」
町の鳥 白鳥
町章
旧藤崎町のふじのりんごと白鳥、旧常盤村の稲穂をシンボライズ。
町章の赤は、りんごとこれから新しい町としての町民の情熱を表現し、黄色は、稲穂と平和への願いを表現し、また藤色は、白鳥の高貴なイメージと誇り高い町をイメージしています。
町章は、デザイン公募120点の中から、青森市在住の石澤さんのデザインが選定されました。
藤崎町民憲章
私たちは、津軽平野の中央に居住し、霊峰岩木山を望み、自然の恵み豊かなまちに育てられた藤崎町民です。
郷土に誇りを持ち、「みんなで創る 心豊かな 優しいまち」の実現をめざし、藤崎町の限りない発展に願いをこめて、この憲章を定めます。
- 私たちは、緑や水や土を大切にし、美しいまちをつくります。
- 私たちは、すこやかな心と体をはぐくみ、元気なまちをつくります。
- 私たちは、働ける喜びと誇りを持ち、未来につなげる豊かなまちをつくります。
- 私たちは、きまりを守り、家族や隣人を愛し、明るいまちをつくります。
- 私たちは、歴史と伝統を大切にし、常に学び、文化の香り高いまちをつくります。
平成19年12月5日制定
私たちは、この憲章を道しるべとして、豊かなまちづくりに、たくましく前進します。そして、このまちを愛します。
マスコットキャラクター
ふじ丸くん
お誕生日 | 2012年7月1日 |
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好きなもの | 藤崎町のおいしいもの全部 |
特徴 | 羽根が生えていること(でも飛べない) |
将来の夢 | 友達をたくさんつくること |
ジャン坊くん
お誕生日 | 2012年7月1日 |
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好きなもの | ツナマヨ(ジャン坊くんには具が入っていないから) |
特徴 | 湯気が出ていること(体の周りから飛び出している) |
将来の夢 | 「藤崎町長に、オレはなる!」 |