藤崎城は安東氏をおこした高星丸(たかあきまる)が築き、1082年(永保2年)に築かれたとも1092年(寛治6年)に完成したとも伝えられています。
安東氏が南部氏に追われた後、南部氏の津軽支配の拠点となりました。南部氏が津軽から撤退すると津軽為信のものとなり、為信の縁者が住みました。藤崎城が廃止されたのは天正年間とされており、築城から500年余り「城」として使用されました。
藤崎城跡の特徴としては、非常に大きな「外郭」と呼ばれる土塁や堀があり、下級の家来や一般民衆が住む場所が形成されていること、平川と浅瀬石川の合流点近くの河岸段丘に位置していることなどがあげられています。城廃止後、藤崎城は建物が取り壊され、江戸時代を通じて堀の跡は水田の苗代として使われ、土塁や建物のあった場所などは畑となり、地形はそのまま残されました。戦後の昭和30年代に市街地の発展や国道7号線バイパスの建設拡張などもあり、現在は堀跡や土塁跡などのわずかな遺構が残っています。
安東氏発祥の地
平安時代末の11世紀の中頃、岩手県盛岡市のあたりに本拠地を構えていた東北地方の大豪族に「安倍氏」がいました。
その安倍氏を京都政権の派遣軍が討ち滅ぼし、源氏が関東や奥州に勢力を張るきっかけとなった戦いが「前九年の役」(1052年~1062年の12年間にわたる長い戦い)です。その戦いで戦死した安倍氏の頭領・安倍貞任の遺児の高星丸が藤崎に落ち延び、成人の後に安東氏をおこし、藤崎城を築いて本拠地とし、大いに栄えたと伝えられています。
藤崎城址(安東氏発祥の地)
住所 | 藤崎町大字藤崎字舘岡1-2付近 |
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アクセス | JR五能線「藤崎駅」より徒歩10分 |