沼沢地を利用した平城跡で、溝城氏の巨館といわれています。
現在もほぼ円形に近い溝跡が確認でき、高台のりんご園が館跡です。また、城の機能として周囲に八幡宮、熊野宮などを設け、有事の際の砦にしたといわれています。
中世の頃、浪岡城を本拠地として栄えた北畠氏は、北畠系統で宗家である「浪岡御所」と、北畠系統の「川原御所」に別れ、時には対立関係にあったり、内紛を起こしたりしていました。その「川原御所」である溝城具信の所領地の要の場所にある城・舘が、溝城舘・水木城です。
水木城は、その頃岩木山麓の賀田や堀越城で急激に勢力を拡大している大浦氏に対抗する北畠氏の最前線の基地でもあったようです。1562年(永禄5年)に、北畠一族の内紛である「川原御所の反乱」がおこり、溝城舘・水木城は浪岡御所の軍勢に攻められ落城したといわれます。溝城氏はその後、津軽為信に仕え、水木氏を名乗ることになり、1596年(文禄2年)から、「溝城」が「水木」と改められたということです。水木熊野宮に水木城址について書かれた看板があります。龍がからみついているような鳥居や熊の狛犬も合わせてご覧ください。
水木城址
住所 | 藤崎町大字水木地内 |
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アクセス | JR五能線「北常盤駅」より徒歩20分 |